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沖縄論考

日本と沖縄のことについて考えていきます。

「第二の加害者」

2016年6月19日に開かれた沖縄県の「県民大会」において、若い世代の代表として演壇に立った大学4年生 玉城愛さんのスピーチに以下の一段があった。

 

安倍晋三さん。日本本土にお住まいのみなさん。今回の事件の『第二の加害者』は、あなたたちです。しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか。パトカーを増やして護身術を学べば、私たちの命は安全になるのか。ばかにしないでください。」

 

「第二の加害者は、本土に住むみなさん、あなたたちです」というこの言葉の意味を、我々はどこまで正確に理解しているだろうか。「本土に住むみなさん」と名指しされ、呼びかけられたこの言葉をどれだけ真剣に受け止め、それに対して応答しようとしているだろうか。

 

マスコミの論評やネットのブログ、掲示板等の議論を見ると、「第二の加害者」発言に対する反応には以下のようなものがある。

 

①「はぁ?」「どういうこと?」「何を言っているの?」「意味わからない」

②「本土と沖縄を離間する気か?」「なぜわざわざ反発を買うようなことを言うのか?」「これで沖縄に同情する気は失せた」「不要な敵を増やす発言」「理不尽、暴論、中傷だ」

③「沖縄はもういらない」「さっさと独立しろ」「中国に占領されればいい」「基地がなくなったら困るでしょ」

④「一理ある」「沖縄に基地を押し付けているのは事実」「確かに、本土の人間は、自分のところにもって来たくない嫌なものを沖縄に押し付けている」

⑤無反応、スルー

 

①は、「本土の人間も第二の加害者」という言葉の意味がわからず、ただ、何か自分たちが非難されていることだけは感じ取っている、苛立ちの混じった反応であろう。ただし、「苛立ち」という感情は一種の自己防衛反応であり、苛立っている人たちは、意識のどこかでは、自分達がまさに「第二の加害者」であることに薄々気づいており、そこをずばりと指摘されたことに対して反発し、苛立っているという理解もできる。

 

②は、呼びかけの意味が何なのかには目もくれず、単に「加害者呼ばわり」されたことに対し不快感を覚え、「この類の発言をすることそのものが怪しからん」と反発しているものである。そこでは、この発言をした人の真意は何なのか、彼女は何を伝えようとしていたのかということは全く無視されている。

 

③は、玉城さんの発言とは何の関係もない、お決まりの「反沖縄言論」である。

 

④は、玉城さんがこの発言を通じて「本土の我々」に対して訴えたかったことを、かなりの程度まで正確に理解している者の反応である。

 

⑤は、恐らく、「本土の我々」の圧倒的大多数の反応であろう。「第二の加害者」発言は、新聞やテレビ、ネットでも伝えられたので、多くの「本土の人間」の目や耳に触れたはずであるが、①~④のような具体的反応を、何らかの手段を通じて返したのは、恐らく、ほんの一握りであり、大多数の「本土の人間」は、右から左へ耳から抜けるように、この訴えをスルーし、あたかもそんな呼びかけなどなかったかのようにしている。

 

私は、「本土の我々」は、今回の女性殺害事件において、紛れもない「第二の加害者」であると考えている。彼女は、私がこの手で殺したのも同然だと思っている。我々が沖縄に過重な基地負担を押し付ける中、基地があるが故の犯罪が起き、彼女がその犠牲者となった。沖縄に基地を押し付けている主体である「本土の我々」が、その責任から逃れることができるはずがない。

 

面積比0.6%の沖縄に、全国の約75%の米軍専用施設が置かれている。沖縄にこれだけ基地が集中しているのは、日本政府が、沖縄への基地集中を戦後一貫して推進・維持してきたからである。

 

そして、民主主義国家である日本において、選挙を通じ、国民世論を通じ、そして時には、住民運動を通じ、日本政府にそのような政策を選択させ、遂行させ、維持させてきたのは、紛れもなく、人口の約99%を占める、我々本土の人間である。

 

日本政府が、自民党が、安倍首相が沖縄に基地を集中・維持させる政策を採ったのだとすれば、そのような政府、自民党、安倍首相を、積極的だろうが、消極的だろうが、支持・容認してきたのは、他ならぬ我々日本国民1人1人である。

 

自民党に投票したことがない人、安倍首相を支持しない人もたくさんいるだろう。しかし、民主主義社会において、我々社会の構成員は、社会全体で民主的な方法によって意思決定された事項の結果に対しては、責任を負わなければならない。

 

沖縄への基地集中に反対の立場を採り、それを推進・維持する政策を採る現政権与党、現野党第一党及び安倍政権に対し、自分は彼らに投票しなかった、あるいは一貫して反対の声を上げ続けていたとしても、結果的に、彼らが信任され、政権を任されているということは、彼らを阻止できなかった、沖縄に基地負担を押し付ける政策を止められなかったことを意味する。その結果に対し、我々は責任を負わなければならない。

 

玉城さんは、「本土の人間」の沖縄に対する姿勢を、「第二の加害者」という言葉で批判し、それに続けて、「しっかり、沖縄に向き合っていただけませんか。いつまで私たち沖縄県民は、ばかにされるのでしょうか」と訴えた。

 

沖縄に向き合うとはどういうことか。彼女の言う「第二の加害者」という言葉を、【自分の問題】として、正面から受け止めることである。そして、「本土の我々」に対して訴えているその真意を正確に理解することである。さらには、理解して終わるのではなく、「自らが『第二の加害者』である」という現状に対し、それを変える努力を、具体的な行動として実行することである。

 

①のように感情的に反発するのではない。②のように発言の真意を無視するのではない。③のようなお決まりの捨て台詞だけ残して、問いかけから逃げるのではない。④のように冷静に内省だけして何もしないのではない。⑤のように、発言そのものをなかったことにするのではない。

 

「加害者呼ばわり」されるのは、誰にとっても愉快なことではない。とっさに反発や反感を抱くのは、人の感情としてはごく自然である。しかし、その感情的な障壁は乗り越えなければならない。そして、問いかけに対しては、アクションによって応答しなければならない。

 

「加害者呼ばわり」が嫌なのであれば、自らの行動によって、自分が加害者であることを止めなければならない。