沖縄論考

日本と沖縄のことについて考えていきます。

女性殺害事件の「政治利用」(1)

沖縄で発生した20歳女性の殺害事件に対し、沖縄からは激しい怒りの声が上がり、抗議が続いている。戦後、過重な基地負担を押し付けられ、騒音、犯罪、環境汚染、事故の被害に悩まされ、犠牲を強いられてきた沖縄人の怒りは、すでに「限界を超え」、「もうこれ以上我慢できない」と訴えている。6月19日に開かれた県民大会では、「海兵隊の撤退」が大会の総意として決議された。

 

これらの「沖縄からの抗議の声」に対し、一部の保守系メディアや言論人、ネット世論から、「米兵の犯罪を政治利用するな」という声が上がっている。県民大会においても、登壇して発言しようとした翁長知事に対し、「(事件を)政治利用するな」というヤジが投げかけられた。ネット上でも「女性の死の政治利用」「人命を平然と政治利用」などの言葉が目につく。

 

ところで、ここで言われている「政治利用」とはそもそも何を指すのだろうか。

 

「政治利用」を批判するいくつかの言論を読み解いてみると、要するに、今回の女性殺害事件を「単なる一殺人犯による殺人事件であり、日本のどこでも起こり得る悲劇」と捉えずに、「米軍基地が存在することに由来する事件」と捉え、そのような事件を起こす米軍基地や海兵隊の撤去・撤退を求めることは「政治利用」であり、それを「怪しからん」と批判しているようである。

 

「政治利用」という言葉そのものの意味をもう少し考えてみると、「政治利用」とは、すなわち、「何か」を「自身の政治目的達成のために利用すること」であると解釈できる。「天皇の政治利用」という言葉はまさにこの意味で使われている。

 

では、沖縄人にとっての「米軍基地の撤去」や「海兵隊の撤退」の要求は、彼らの「政治目的」であると言えるであろうか。

 

沖縄人が「米軍基地の撤去」や「海兵隊の撤退」を求めるのは、上述のように、戦後70年もの間、基地に由来する騒音、犯罪、環境汚染、事故の被害に悩まされてきたからである。米軍基地が存在するが故に、これらの被害は戦後70年の間止むことなく続き、多くのかけがえのない人命が犠牲となってきた。

 

そして、その犠牲は、沖縄とそれ以外の都道府県で平等に分かち合われるのではなく、その75%が沖縄に押し付けられ、そのうちのほんの僅かでも、沖縄から本土に負担を移そうとすると、本土で反対運動が起き、結局、沖縄に対する押しつけが続くという構図になっている。

 

本土にも米軍基地は存在し、それを負担している人々がいることは事実だが、その負担の重さは、本土と沖縄で圧倒的な差があり、沖縄に対して、不平等なまでに過大な負担が押し付けられている。

 

その現状に対して、沖縄人が「もうこれ以上の負担、犠牲は負えない」「負担を減らしてほしい」「本土も平等に負担を負ってほしい」と主張し、その負担の源である海兵隊の基地を「撤退させてほしい」と訴えることは「政治的」な話だろうか。

 

海兵隊を沖縄から撤退させてほしい」と訴えるのは、それを通じて、沖縄における米軍基地由来の騒音を減らし、犯罪を減らし、環境汚染を減らし、事故を減らし、理不尽な犠牲を減らし、沖縄人の生活環境、生存環境を改善し、よりよい地域を作っていきたいという、特定の政治的立場とは何の関係もない、人間なら誰しもがもつ、まっとうな欲求であり、要求である。

 

今回の女性殺害事件との関わりでいえば、海兵隊基地で働く軍属によって彼女が殺害されたとすれば、それは、まさに、海兵隊の基地が存在するが故に起こったのであり、また海兵隊関係者が事件や事故を起こすのは、これが初めてでもなければ、終わりでもない。何度、「綱紀粛正、再発防止」を誓っても、事件、事故が無くならないのであれば、「海兵隊そのものが沖縄から出ていってほしい」と求めるのも、特定の政治的立場とは関係のない、ごく自然な欲求、要求である。

 

では、なぜ、本来、政治目的とは何の関係もない沖縄人の「海兵隊撤退」の要求に対し、一部メディアや言論人、市民は「政治利用」というレッテルを貼り批判するのだろうか。

 

そこには二つの理由がある。

 

一つは、「海兵隊撤退」要求に対し、「政治利用」というレッテルを貼り、「政治利用するな」と批判することで、沖縄人に「米軍基地撤去」「海兵隊撤退」という要求を出させないようにする、もしくは、そのような要求を出すことそのものが、「不当」で「間違ったこと」であり、そのような要求を出す沖縄人は、「政治利用」という「不当」で「間違った」ことをやっている人々である、と世間一般(主に本土の人間)に印象付けるためである。

 

現実には、このような批判をしたところで、もはや「怒りは限界を超えた」沖縄人の口を封じ、要求撤回させることはできないであろう。しかし、本土の人間の間で、「沖縄人は『海兵隊撤退』という政治目的のために事件を利用する、『不当』で『間違った』人々であり、そのような『不当』で『間違った』要求に耳を貸すことはない、無視すればよい」というコンセンサスを形成することには大いに可能である。

 

そして、本土の人間の過半数の間でそのようなコンセンサスを形成できれば、沖縄に対し99%の人口規模を持つ本土は、選挙、世論などを通じ、沖縄に対して米軍基地の過重負担を、押し付け続けることができるのである。

 

「事件を政治利用するな」という批判は、「人一人殺されたぐらいで『基地を撤去しろ』などと騒ぐな。沖縄はつべこべ言わず黙って基地を背負い続けていろ」、あるいは「沖縄がつべこべ言うのは無視して基地を押し付け続ければいい」と言うのと同義である。

 

二つ目の理由については次回述べる。