沖縄論考

日本と沖縄のことについて考えていきます。

「日本のどこにも基地はいらない」が犠牲にするもの

普天間基地の移設や北部訓練場の返還に伴う、辺野古新基地建設や東村高江のヘリパッド建設に対する反対運動が現地で繰り広げられている。反対運動には地元の人達のほか、本土からも様々な団体が集まり、加わっているという。

 

左翼系政治団体や平和活動家の中には、「日米安保廃棄」「日本からの基地撤去」を主張する人達がいる。彼らの主張は日本からの米軍基地の撤去なので、日本の一部である沖縄の基地にも反対し、「辺野古に基地はいらない、沖縄に基地はいらない」、そして「日本のどこにも基地はいらない」と主張する。

 

このような主張をすることは、彼らの立場からすると至極当然であり、反戦平和運動の主張としては正しいのかもしれない。しかし、「沖縄への過重な基地負担の押しつけをやめる」という目的から言うならば、この主張を続けることは、沖縄から基地をなくすことにはつながらず、「本土」の我々による、沖縄への基地の押しつけも終わらない。

 

なぜならば、左翼の人達や平和活動家がいくらそのように主張をしようとも、日本国民の圧倒的大多数は、日米安保条約を支持しているからだ。

 

2015年1月に内閣府の行った世論調査によると、「日米安全保障条約は日本の平和と安全に役立っていると思うか聞いたところ、『役立っている』とする者の割合は82.9%」に達する。

 

さらに、「日本の安全を守るためにはどのような方法をとるべきだと思うか聞いたところ、『現状どおり日米の安全保障体制と自衛隊で日本の安全を守る』と答えた者の割合が84.6%、『日米安全保障条約をやめて、自衛隊だけで日本の安全を守る』と答えた者の割合が6.6%、『日米安全保障条約をやめて、自衛隊も縮小または廃止する』と答えた者の割合が2.6%」となっている。

 

日本国民は日米安保条約を支持し、今後も日米安保体制が続くことを望んでいる。つまり、

日本国の領土内に米軍基地を設置し、米軍を駐留させることによって、国の安全を守るという安全保障のあり方を望んでいるのである。

 

この圧倒的な国民の支持を前にして、いくら、少数派の活動家達が、辺野古や高江で「安保反対」「日本からの基地撤去」を叫んでも、それによって、沖縄から基地がなくなることはない。これが現実である。これらの主張は、沖縄への過重な基地負担の押しつけを解消する方法としては成り立たないのである。

 

そして、当然ながら、「日米安保廃棄」「沖縄にも日本にも基地はいらない」と叫んでいる間も、沖縄への過重な基地負担の押しつけは続いている。

 

つまり、日本国民の意識が変化し、日米安保破棄派が少なくとも全国民の51%以上になり、日米安保に変わる新たな安全保障体制が考案され、「日本からの米軍基地の全面撤退」が国会の承認と日米両国の外交によって合意され、米軍基地の実際の撤退が始まり、完了するその時まで、沖縄は過重な基地負担を背負い続けなければならないのである。果たしてそんな日は来るのだろうか。

 

活動家の人達は、自分自身では気づいておらず、また、そのつもりもないのであろうが、彼らが「日米安保廃棄」「沖縄にも日本にも基地はいらない」と主張することは、「それが実現するまで沖縄への基地の押しつけをやめない」と宣言するのと同義であり、むしろ、そのような主張をし、眼前の基地押しつけの現実を無視することで、沖縄への基地押しつけに加担しているのである。