沖縄論考

日本と沖縄のことについて考えていきます。

「基地引き取り論」に対する反発(1)

私は、沖縄に対する過重な基地負担の押し付けを解消するためには、沖縄にある米軍基地を、「本土」に引き取るしか方法はないと考えている。

 

この「基地引き取り論」は、恐らく、「左派」「平和運動家」「安保廃棄論者」の人達から、激しい反発と反対を喰らうであろう。

 

彼らは「反戦平和」を主張し、日米安保条約に反対であり、「日本のどこにも基地はいらない」と主張する。彼らにとってみれば、沖縄の米軍基地を「本土」が引き取るということは、日米安保条約の存続・強化を認めることであり、沖縄という狭い地域に封じ込めていた基地を日本全国に拡散させる行為である。

 

これは「安保廃絶」「日本からの全基地撤去」という彼らの目的からすれば逆行であり、また、「『引き取り』に乗じたさらなる軍拡・軍備強化の機会を政府に与え、近隣諸国の警戒と緊張を引き起こす…」など、懸念を数えれば数限りないであろう。

 

しかし、前でも述べたように、日本国民の80%以上が日米安保体制を支持し、今後も、「日米安保に頼って日本の安全を守っていく」ということに賛成している。その状況下で、いくら沖縄に基地を封じ込め、その沖縄で基地反対運動を行っても、彼らの言う「安保廃絶」「日本からの全基地撤去」が実現されることはない。

 

彼らや地元の沖縄県民が、いくら辺野古や高江で基地反対の声をあげても、それによって、日本国民全体の世論が変わることはない。仮に、地元の声が最終的に移設阻止を実現しても、普天間基地など、県内の新施設建設が移設条件である現行基地は残ることになり、沖縄の過重負担は変わらない。もちろん、日本からの基地撤去も進まない。

 

むしろ、75%の米軍専用施設を沖縄に封じ込め、大多数の日本国民から米軍基地の実態が見えなくなることで、「本土」の我々は、「米軍が日本に駐留する」「基地と『共存』する」とはどういうことなのか考える機会をもつことなく過ごしており、それが安易な「日米安保賛成」世論を生み出す源になっていると考えられる。

 

沖縄の海兵隊基地の中には、もともと、山梨県岐阜県にあり、地元の反対運動の結果、当時、米軍統治下にあった沖縄に移されたものもある。当時の反対運動は、実力行使を伴う猛烈なもので、日本政府は、このまま事態を放置しておけば、日米安保体制そのものが揺らぐという危機感を覚えたのではないか。

 

そのため、米軍専用施設の75%を沖縄に押し付け、大多数の日本国民の生活実感の中から、米軍基地の存在を消すことで、現在に至るまで、日米安保体制を安定的に維持することに成功したといえるのではないか。

 

逆に、米軍基地を沖縄から「本土」に引き取り、「本土」の我々の日常生活の中に米軍基地が出現することで、我々「本土」の人間は初めて、「日米安保体制とは何か」「米軍を日本に駐留させるとはどういうことなのか」「沖縄が負い続けてきた基地負担とは何なのか」「我々は本当にこのような日米安保体制を支持し、今後も維持していくのか」を真剣に考える機会をもつことができるのではないか。

 

その時初めて、これまで基地問題に無関心であった大多数の日本国民の中から、「安保廃絶」「日本からの全基地撤去」という「反戦平和」の立場の人達の主張に耳を傾ける者が現われ、世論が変化し、「日米安保体制」は、現在の「安定的に維持されている状態」から「不安定で存続が懸念される状態」に代わっていく可能性がある。

 

つまり、「本土」への基地引き取りは、「左派」「平和運動家」「安保廃棄論者」の人達が、過去何十年かけても実現できなかった、「安保廃絶」「日本からの全基地撤去」という目的に向かう、大きな前進をもたらす可能性がある。

 

「本土」への基地引き取りは、「左派」「平和運動家」「安保廃棄論者」の人達にこそ、強く支持されてしかるべきなのである。