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沖縄論考

日本と沖縄のことについて考えていきます。

「本土」へ基地を引き取る

ここまで、「本土」への基地引き取りは、左右の立場を超えて支持されるべき考え方であると主張してきた。

 

それでも、いざ自分の住む町に米軍基地ができるという段になると、やはり、住民達の激しい不安と懸念を呼び起こし、政治的立場を超えた猛烈な反対・反発が起こるであろう。

 

誰も自分の住む町に米軍基地など抱え込みたくない。

 

米軍基地が自分の住む町にできれば、軍用機の離発着のたびに激しい騒音に悩まされることになるだろう。米軍兵士や軍属による犯罪・事故も起き、殺人や暴行、ひき逃げなどの悪質な犯罪の犠牲者が出る可能性も高い。軍用機の墜落による大参事のリスクも懸念されるし、土壌や河川など、環境に対する汚染も懸念される。有事の際には敵国の攻撃の標的になる可能性も大きい。また、米軍基地ができたことで、周辺の地価は大きく下がり、経済的に大きな損失を被ることになるかもしれない。

 

これまでのような、平穏で安全な暮らしは、基地が置かれたことで失われ、住民たちは、米軍基地という軍事施設と日々向き合って暮らさなければならなくなる。

 

誰もそんな生活は望まない。

 

しかし、日米安保条約に基づき、基地を築いて米軍を日本国内に駐留させ、それによって国の安全を守るというのは、現実には、【そういうこと】なのである。日本国民の80%が支持する日米安保条約は、そのような「負担」や「犠牲」を、国民自らが負うことを前提に成り立っている。

 

そして、「本土」の我々は、戦後70年の間、そして沖縄の本土復帰後40年の間、その「負担」「犠牲」の圧倒的大部分(約75%)を、自ら負うことなく、沖縄に押し付け続けてきた。過重な負担と基地被害の犠牲を、人口の99%という圧倒的に優位な数を背景に、選挙による投票行動や世論を通じて、沖縄に押し付けることを容認し、それを維持することに加担してきた。

 

その「負担」「犠牲」の大部分は、「本土」の我々が本来負うべきものであったのだ。我々が必要としている日米安保とそれに基づく米軍基地から来る「負担」「犠牲」は、本来、我々も応分に負担すべきものなのである。その本来負うべき負担を追わずに、沖縄にそれを一方的に押し付けるのは、「本土」に住む我々の、沖縄に対する差別、抑圧に他ならず、そのようにして押し付けられた米軍基地によって沖縄で引き起こされた事件・事故による犠牲は、米軍による加害であると同時に、「本土」に住む我々の沖縄に対する加害である。

 

「基地引き取り」は、沖縄に対するそのような差別、抑圧をやめ、加害をやめ、日本全体で、米軍基地の負担を、まずは平等に引き受けようという考え方である。

 

先ほど述べたように、一方でそれは、米軍基地の存在によって引き起こされる事件・事故を含む負担と犠牲をも、「本土」の自分たちの住む町に引き取ることを意味する。誰も、そんな負担は負いたくない、犠牲にもなりたくない、しかし、それを理由に引き取りを拒否することが、沖縄への過重な基地負担の押し付けを生み出し、維持し、それによって沖縄の人々を犠牲にしているのである。

 

それをやめるためには、基地から来る負担、犠牲も含めて、我々は、米軍基地を、自分たちの住む町に引き取らなければならない。

 

「基地を引き取った後に事件や事故が起きて、誰かが犠牲になったら、その責任はだれが取るんだ」という問いも出るだろう。それに対する答えは、「その責任は、あなたを含む、我々全員でとらなければならない。日米安保を支持し、米軍の日本駐留を容認している日本国民である我々が全員で負わなければならない」となる。

 

もちろん、可能な限り、負担や犠牲を小さくする工夫はするべきである。できるだけ、騒音被害を受けないで済むように、そして、万一の墜落などの際に、住民に被害が出ないようにするために、基地は住宅地から極力離れたところに置くべきであろう。それでも、近くに居住することになった住民に対して、住居の防音対策は、政府が責任をもって行うべきであろう。

 

米軍基地という迷惑施設を受け入れることによって発生する現実の経済的損失や心理的・精神的負担に対して、政府が十分な補償を行うことも必要だ。基地関連の交付金補助金について、基地を受け入れた自治体は、政府に対し、当然の権利として堂々と要求し、十分な額を受け取るべきだ。

 

また、犯罪の犠牲になるのを防ぐために、警察当局が入念な対策を採るほかに、地域住民による自警組織を作るなど、「自分や自分の家族は自分の手で守る」という覚悟と実際のアクションも必要になろう。もちろん、地元自治体も十分な予防策を講じるべきだ。

 

米軍基地の移設地も、既存の米軍施設や自衛隊施設、民間空港を活用するなど、可能な限り、人の生活する街への負担を軽くできる場所を選ぶべきであろう。

 

長い年月の間、街のど真ん中や集落のすぐ近くに基地を抱え込まされてきた沖縄の人々からすれば、ずいぶん行き届いた配慮であると感じ、そこに、沖縄の扱いと「本土」の扱いの差を見るかもしれないが、それでも、そのように工夫して、沖縄に過重に押し付けられている基地の負担を「本土」に引き取ることには、価値があり、意味がある。

 

「本土」に住む我々は、沖縄の米軍基地を自分たちの住む町に引き取り、これ以上、沖縄に対する差別者、抑圧者、加害者であることをやめるべきである。