沖縄論考

日本と沖縄のことについて考えていきます。

「土人」発言に思う(1)

大阪府警から沖縄に派遣され、高江ヘリパッド建設地の警備にあたっていた20代の機動隊員が、ヘリパッド建設反対派で抗議活動にあたっていた市民に向かって、「ボケ、土人」という暴言を吐いたと報道されている。

 

また、現地から返された同機動隊員に対し、大阪府の松井知事がツイッターで、「表現が不適切」ではあったが、「一生懸命職務を遂行していた」として、「出張ご苦労様」とねぎらうコメントをツイートしたことも報道されている。

 

「本土」の我々は、この「土人」発言をどうとらえるべきか。

 

まず、大前提として、「本土」の人間より、「土人」という言葉が沖縄人に対して投げられるとき、その発言の背景やきっかけにどんなものがあろうとも、それが沖縄人に対する侮辱であり、侮蔑であり、差別を意味することを、我々は否定することができない。

 

「土人」という言葉が、どのような解釈(曲解)を試みようとも、歴史上、「本土」の日本人が沖縄人(に対してだけではなかったが)を侮蔑、差別する言葉として使用され、現在も、ネット上の様々な言論空間において、沖縄人を侮蔑、差別するために、この言葉が使われているということは、否定しようのない事実である。

 

「本土」の我々が、たとえどんな事情があったとしても、あるいは本人の意図がどうであったとしても、「土人」という言葉を沖縄人に向かって浴びせるという行為は、すなわち、沖縄人を侮蔑し、差別し、攻撃する行為である。

 

そうである以上、この言葉を沖縄人に対して発する者も、そして、その発言を擁護する者も、すべからく、沖縄人に対する差別の行為主体であり、その加担者である。

 

松井大阪府知事は「(反対派も)無茶苦茶を言っている」「混乱を引き起こしている」ことを理由に、「土人」発言をした機動隊員を擁護する姿勢を見せているが、「土人」発言は、沖縄人全体を激しく、侮辱、侮蔑し、差別する行為であり、いかなる理由、口実によっても正当化することはできない。

 

「Aが~だから、差別してもよい」という論理を認めるならば、それが障害者であれ、女性であれ、ある人種、民族であれ、世の中のある特定の集団に属する人たちに対するあらゆる差別と攻撃は正当化することが可能となる。

 

我々は、自分たちの住むこの社会を、そのような、差別や攻撃を正当化する社会にしたいのか。もっと具体的に言えば、我々は、自分たちの住むこの日本という国、社会を、沖縄人を侮辱し、差別し、攻撃する言論が、政治指導者の擁護を得て、大手を振って罷り通る、そんな社会にしたいのか。

 

それが問われている。