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沖縄論考

日本と沖縄のことについて考えていきます。

「土人」発言に思う(3)

最後に、「土人」発言と警察権力の問題について考えてみたい。

 

機動隊員による「土人」発言のあった直後、その「派遣元」である大阪府の松井知事は、ツイッターの中で、「(土人という表現は)不適切」としながらも、同機動隊員に対し、「一生懸命職務を遂行していた」との理由で、「出張ご苦労様」と述べた。

 

その発言が批判されると、改めてメディアの取材に応え、「『土人』というのは差別的意味がある。だから、差別的意味がある発言を認めないし、反省すべき」としながらも、「反対派が混乱を引き起こしている」「反対派の反対行動もあまりにも過激」「罵詈雑言が飛び交い、非常に強硬な人達がいて、無用な争いが起こっている」「その中で、メディアを含めて、彼個人を特定して叩くのはやり過ぎ」という旨のコメントをした。

 

「差別発言はよくないけれども、反対派も機動隊員に罵詈雑言を浴びせているのだから、機動隊員の差別発言だけをたたくのはおかしい」ということである。

 

産経新聞10月21日朝刊の「政論」でも、「反対派の機動隊員に対する罵詈雑言を聞いたことがあるか?『土人』発言招いた沖縄の以上空間」と題し、「機動隊員が『土人』と発言したことは何から何まで間違っている」としながら、機動隊員に対する反対派の暴言の例を取り上げ、「問題は、言葉の暴力に満ちた空間の存在が放置されてきたことにある」と、反対派の「言葉の暴力」を問題視している。

 

また、沖縄県議会は10月28日、機動隊員による「土人」「シナ人」発言に抗議する意見書案を賛成多数で可決したが、野党の自民党は反対するとともに、反対派による警察官に対する暴言を列挙した意見書案を提出した。

 

その中には、確かに、聞くに堪えないような激しい表現も含まれており、これらが本当に反対派の口から警察官に対して浴びせられたとするなら、いくら警察という権力機構の職員であったとしても、警察官も機動隊員も一人の生身の人間であるから、決して愉快な気持ちにはならず、それに対して心理的なプレッシャーを感じるのも、無理からぬことではあろう。

 

同じ時期に、Youtube上では、沖縄平和運動センター議長の山城博治氏を含む反対派が、沖縄防衛局の職員らを取り囲み、帽子や眼鏡を奪ったり、無理やり座らせたりする映像が流された。

 

これらを受け、一部のネット空間では、よりあからさまに「土人」発言を擁護するコメントが流れている。すなわち、「『土人』発言も仕方ない」「『土人』発言より、反対派の暴行、暴言のほうがひどい」「『土人』発言を引き起こしたのは反対派の暴言。機動隊員は悪くない」「反対派の売り言葉に対する、買い言葉に過ぎない」等である。

 

我々は、このような「反対派の過激な言動」とそれを理由に、「(警察官による)『土人』発言もやむを得ない」とする言論をどう理解すべきであろうか。

 

確かに、反対派の言動の中に、過激なものが含まれていることは事実であると思うし、警察官も人間である以上、心情的に、それらの言動から不快感や心理的プレッシャーを受けるであろうことは理解できる。

 

しかし、一般市民による権力に対する抗議に伴う激しい言動と、権力機関の職員である機動隊員の一般市民に対する暴言を同じレベルでとらえることはできない。

 

両者の間に権力の差が存在せず、完全に対等な関係であれば、お互いに罵り合っても、「お互い様」「売り言葉に買い言葉」ということで、喧嘩両成敗が成り立つ場合もある。

 

しかし、警察という国家権力を行使する主体である機動隊員は、いかなる理由があろうとも、その公務の執行中に、市民に対して暴言を吐く、ましてや特定の集団に対する差別を意味する言葉を吐くことは許されない。

 

なぜならば、警察官は、いざとなれば、公務執行妨害などの理由で一般市民を拘束し、その自由を奪うことのできる圧倒的な権力をもつからである。


一方、権力をもたない市民は、権力者である警察官に対して、激しい抗議をしようと思ったら、暴言を浴びせるぐらいしか方法はない。警察官と市民は、権力的に非対称な関係にあり、市民は警察官に対して権力的に圧倒的に劣位に立つ。

 

逆に、警察官のように圧倒的な権力をもつ者は、たとえ相手が、どのような政治的な立場に立つ人間であろうと、どのような思想信条や性格・人格の持ち主であろうと、どんなに汚い暴言を吐いてこようと、その職務の遂行過程においては、そうでない他の人たちと同様に、公正、公平に接しなければならない。

 

相手が思想信条を異にする者であったとしても、生理的に受け付けない、「むかつく」「嫌いなタイプの」人間であったとしても、決して、それを表明したり、態度に表したりしてはいけない。ましてや、特定の集団を差別し、攻撃する言論を吐くなどは論外である

 

警察官の市民に対する圧倒的な権力が、公正に、公平に、適切に行使されることを担保するためには、警察官は、如何なる相手に対しても、あくまでも、公正、公平に接しなければならないのだ。

 

もし仮に、警察官が、ある特定の思想信条をもつ者、あるいは、ある特定の集団に属する者に対して、偏見をむき出しにし、差別発言によって、彼らを攻撃することを許すならば、その警察官が、彼の攻撃対象としている相手に対して、公正、公平、適切に法を執行するということを、我々はどうやって担保するのだろうか。

 

そのような警察官に対して、我々市民は信頼を寄せられるだろうか。自分が、もし、彼の気に入らないタイプの人間に分類されたとき、彼が自分に対して、恣意的に法を適用しないと信じることができるだろうか。

 

また、警察官に激しく罵倒され、暴言を吐かれた市民の側が、自分に対して不利なように、恣意的に法が執行されることを恐れ、抗議の口を開けなくなるということは起こらないだろうか。もしそうなれば、それは、権力が市民を恫喝し、その思想信条や言論の自由を抑えようとする行為につながる。

 

このように、合法的に市民を拘束することのできる圧倒的な権力をもつ警察官の暴言と、その権力を罵倒するぐらいしか対抗手段をもたない市民の罵詈雑言を同列に捉えることはできないのだ。

 

そして、「本土」による沖縄に対する差別という背景がある中で、国家権力が沖縄差別を表す暴言を吐くということが起きた。我々は、沖縄に対する差別が、国家権力の暴言によって支えられるような構造を許してはならない。